『おかげさまで、注文の多い笹餅屋です』早期退職し、好きなことで働こう!

2018-07-19

笹餅

定年前後の皆さん、こんにちは。

皆さんが抱える悩みや気になることを、私と一緒に解決していきましょう。

今回、桑田ミサオの著書『おかげさまで、注文の多い笹餅屋です』を読みました。

著者の桑田ミサオさんは、1927年生まれの91歳です。定年後の60歳から、本格的に餅作りを始めて、なんと!75歳で起業されています。

2012年にNHKの番組で取り上げられたこともありますので、ご存知の方もいらっしゃるのでは。

今も現役で、27kgの米袋をひとりで持ち上げられる間はこの仕事を続けるそうです。

まさに「スーパーおばあちゃん」なのですが、この本には、私たちがこれから、本当にやりたいこと、一生続けたいことを見つける中で、ヒントになることが、たくさん書かれています。

もともと「手作り」が好きだった

ミサオさんのお父さんは、ミサオさんがお母さんのお腹の中にいたときに、亡くなっています。

そのため、お母さんは樺太へ出稼ぎに行ったり、田植えや稲刈りという農家の手伝いをしたり、和裁の仕事もされていたそうです。料理も得意で、食べ物でも、着るものでも、何でも自分の手仕事でゼロから作って、家族を支えてきました。

ミサオさんは、そんなお母さんを手伝い、ゼロからものを作る楽しさを、教えてもらったのです。

お母さんがミサオさんに言った「十本の指は、黄金の山だ」という言葉を、ミサオさんはずっと大切にして、食べるもの、着るもの、使う道具まで、できるだけ自分で作る生活を続けてきました。

ミサオさんの手作りは、貧しかったために、必要に迫られたものであったとしても、小さい頃から、手作りの楽しさを知ったことは、間違いありません。

60歳で定年を迎えたとき、地元の農協から、無人直売所への参加を打診されます。

その時、「じゃあ、お餅を作ります」と自然に応えられたのは、小さい頃から好きだった「手作り」ができるからだったでしょう。

一生続けたいと思う瞬間

お餅作りを始めた60歳から2年経ったころ、特別養護老人ホームへの慰問に誘われます。

お餅を120個も作り、老人ホームへ持って行き、挨拶をしたところ、前の方に座っていたおばあちゃんが、涙を流されたそうです。

「昔は自分たちも作っていたなぁ」と、思い出されたのかも知れませんし、ミサオさんたちの優しさに触れて、自然に涙がでたのかも知れません。

いずれにしても、このときにミサオさんは決心します。

ああ、餅っこ一つで涙流してくれるのなら、一生続けよう

人間というものは、自分だけで楽しいと感じることよりも、人が喜んでくれる姿をみて、「ありがとう」という言葉を聞いて、嬉しい、楽しいと感じることが多いと思いませんか。

人の笑顔は、自分のやる気、生き甲斐になりますよね。

まとめ

本当にやりたいこと、一生続けたいことは、やはり、小さい頃から「好きだったこと」から見つかるのではないでしょうか?

退職する年齢になって、いまさら子供の頃に好きだったことなんてできない。そう考える人は多いと思います。

この本の中で、一番印象に残ったミサオさんの言葉です。

定年して、何をしたらいいのかと迷っている人も多いでしょう。よく、こんな年になって新しいことを始めるなんて、と言う方もいます。でもどうか、自分でこれはできない、いい年をしてこんなことをしては恥ずかしいなどと決めつけないでください。悩んだりするくらいならば、思いきって新しいことに挑戦してみてください。そのことが、後半生をいかに楽しくしてくれるか、今の私には、そのことだけは自信を持って言えます。

75歳で起業して、91歳の今も、好きなことを続けるミサオさんが言うのですから、信じてみたいと思います。

リストラ、人員削減、早期退職に不安を抱いている方はこちらの記事をご覧ください。