大勢順応の恐ろしさ。憲法改正の国民投票は自分で考える良い機会です!

定年前後の皆さん、こんにちは。
皆さんが抱える悩みや気になることを、私と一緒に解決していきましょう。
最近の台風や停電で、首都圏でも電車の遅延、運休が相次ぎ、よくニュースになっています。
混雑した駅を見るたびに思い出すのですが、私も東京出張中に事故による遅延で、大混雑に巻き込まれたことがありました。
その時、駅ではホームへの入場制限が行われましたが、駅構内の放送、駅員の指示に従い、ものすごい数の人々が黙って整列し待つ姿を見て、驚いたことを覚えています。
東京のように人が集中したところでは絶対に必要な行動ですが、私のような地方出身者から見ると「すごい!」と感じる光景です。
東日本大震災の時には、支給される品を並んで待つ姿が世界中で称賛されました。海外だったら奪い合いが起こっただろうと、テレビではコメントしていました。
たくさんの人が集まった時、混乱を起こさず統制の取れた行動ができることは、日本人の優れたところだと思います。
しかし、それが「大勢順応」では問題です。
大勢順応の恐ろしさ
「大勢順応」とは、主体性がなく、他の意見に安易に同調することを表す言葉です。
本当は正しい意見を持っているのに、周りの人の多くが異なる意見だった場合、その意見に合わせてしまう。学校や会社、多くの人が集まる場では、よく起きることですよね。
自分が間違っている気持ちになったり、全体の和を乱すことを恐れたり。理由はいろいろあるかと思います。
最近では、自民党総裁選挙でおかしな事が起きました。安倍首相への支持は党員票では55%しかなかったのに、国会議員票では82%にもなったのです。
全国平均は55%、つまり半分くらいというのが安倍首相支持率の妥当な数字でしょう。
しかし、永田町という閉じられた空間に多くの人が集まると、議員は大勢順応に流され、本当の自分の意見を失ってしまうのです。
自民党、安倍政権という安定多数の意見に同調してしまい、主体性がなくなるのですね。
とくに選挙のことしか考えられない「先生」は、誰の意見に従っていれば良いかだけを考えます。
何百人いても意見が一つでは、無駄な先生たちです。
インターネットで大勢順応はどうなるのか?
私たちは新聞やテレビで多くの情報を得ています。
新聞、テレビで見たり聞いたりしたことは、ほとんど信じてしまうことが多いと思います。
しかし、実際は権力者の都合の良い内容で、報道されているかも知れません。
多くの新聞、テレビで同じ内容を伝えていたら、たとえそれが間違ったことでも、事実だと信じてしまうのは恐ろしいことです。
まるで、戦時中の大本営発表です。
最近は、インターネットで情報を仕入れることが多くなっていますよね。
やはり、ここでも大勢順応の危険性はあります。根も葉もない噂で、無実の人が犯人扱いされることも、ネット社会の怖さ。
しかし、新聞、テレビとは異なり、権力者とは何の利害関係もない人たちからの意見も、インターネットであれば知ることができます。
戦時中と異なり、私たちは少なくとも、判断材料を入手できる立場にはなったわけです。
まとめ
新聞、テレビ、そしてインターネット。実にさまざまな情報入手の手段があります。
それらの情報を比べると、真逆のことを言っている場合もあるでしょう。新聞やテレビが正しく、インターネットが間違っているとも決められません。
こんな時代こそ、入ってくる情報にただ流されるのではなく、それは本当に正しいことなのか自分で考える必要があります。
自分の考えは大勢順応ではないかと、常に自問しなければならないのです。
近い内に憲法改正の国民投票があるでしょう。大勢順応というわけにはいきません。
本当に真剣に考え、自分の意見を決める時が、間近に迫っています。